4.公平と平等 絶対正義ってのはないのです

日本の歴史と伝統を冷静に見つめていくと、欧州式の概念の中には、日本には合わないものも多いことがわかります。
その典型例が、平等と公平という概念です。平等とは、対象があってその下で、権利が一様ということです。何かの権利を一カ所に集めて、それを再配布することによって、全員に同じ権利がある状態を指します。それに対して、公平はフェアだということです。システムの中にエラーがないことや、ズルや不正や優遇をしないということです。

具体例として試験のカンニングは怒るけど、教育格差には無頓着ということをあげています。
著者はこれを、民族的に均質な日本人の特徴ではないかと推測しています。

この指摘は全くその通りで、民族的に均質でなければ、平等という権利意識に無頓着にはいられなかったでしょう。
例えば肌の色が違う民族が全体の40%日本にいたとして、歴史的にその40%の民族に選挙権が一人一票ではなく0.5票だったとしたら、40%の民族は、いずれ自分たちの権利を主張するために抗議を始めるでしょう。
こんなことが、社会のあちこちで起こり続ければ、嫌でも権利、平等に意識がいくようになるのです。
それがが起こらなかったから、日本人は権利とか平等に疎くなったと。。。

しかし、著者はこれを悪いとは言いません。
日本にあったものを作ればいいんじゃないかと論じます。

日本に合ってないものを無理やり日本に持って来る必要はありません。それは日本人に向いてないだけの話です。ただし、日本人は公平にはこだわるので、あらゆるものを公平にジャッジすることにはこだわるべきです。つまり男女のどちらにもいえることですが、口先の平等を隠れ蓑にして、必要以上に権力を得ようとする試みには賛同できないと僕は思ってしまいます。今日本に求められる平等と公平とは、適材適所をきちんと肯定できるロジックと、それに齟齬が発生して場合に制度自体を変更できるようなフットワークの軽い発想です。つまり、全てを50:50にする間違いの平等意識を正し、最適な割合をつねに探す臨機応変さを制度に組み込むべきなのです。

この主張に賛同する人は多いと思います。
しかし、同時にこのような制度ができる可能性は、低いんじゃないかと感じているのではないかとも思います。
なぜ、できないのか。
それは、今まで、平等に無頓着だったせいで、原理原則の平等を振りかざせば、無理が通ってしまうという現象が起こっているからです。
指摘にあった「口先だけの平等」です。

主張された制度を実現するための第一歩は、論理的に平等なことでも現実に合わなければ不要であるというコンセンサスを形成することでしょう。
つまり、平等についてもう一度考え直し、平等が絶対正義ではないということを認識する必要があるということです。

平等にベーシックインカムを導入してくれればなんでもいいんですけどね( ̄ー ̄)ニヤリッ