日本再興戦略 (NewsPicks Book)
落合 陽一
幻冬舎
2018-01-31


1.「意識改革」という言葉
2.因果は続くよどこまでも

3.指摘されると気になってしょうがない
4.公平と平等 絶対正義ってのはないのです
5.百姓と思えば腹も立たない


6.言い換えると超高度な個人主義

元来、我々には、西洋的な、依存なき個人に立脚する考え方は戦略的に向いていないのです。いくつものレイヤーやグループに分かれて人生を重層的に生きていけるわけですから、コミュニティー同士の判断基準を戦わせながら、ときに人間一人の判断を超えた補完技術による意思決定を含めて判断材料にしていけばいいのです。

思想や慣習により、私たちは依存なき個人を規定しにくいのは確かで、基本的にはコミュニティー掟に従っている方が性に合っています。
しかし、依存なき個人が本当の個人だ、という教育を受け続けてしまうことによって、生来的に向いている性質とは違う考え方をしなくてはならなくなります。
今起こっている社会問題でもこの側面は露わになっています。
特にメディアの主張の仕方に、「依存なき個人が絶対正義」を否定しきれないジレンマを感じます。

著者はそれを、複数のコミュニティーや立場におけるそれぞれの判断基準を戦わせて決定を下すような考え方にすればいいと主張します。
つまり、立場や所属によって主張(正義)が違うことを受け入れて決定する方が、日本人向きだし、世の中うまく回るよね、と。。。

さて、本当にうまく回るのでしょうか。
依存なき個人の場合は、私の正義が一つある状態ですが、複数の主張を受け入れて個人が決定を下していくというのは、とても高度な判断なわけです。
単純に一つの正義に従って決断するよりも、所属する複数のコミュニティーにとっての最善を考えて決断するとき、私たちは信じる正義以外の判断基準を持たなくてはならないのです。

他にも考えなくてはならないことがあります。
コミュニティーの質の問題です。
日本人の特質が、個人よりもコミュニティーを中心に考えるものであって、それが合理的であれば、依存なき個人という思想は普及しなかったはずです。
しかし、コミュニティーが閉鎖的だったため合理性を欠き、依存なき個人が普及したのです。
そこで、著者はこう主張します。

インターネットは空間と時間を超えてつながることのできるインフラです。流動的な「ムラ」社会を作りやすくなっているのです。(中略)つまり、移動と労働とコミュニティの選択性を作るべきです。

コミュニティーを選択できることが重要なのです。
コミュニティーに依存した個人でいい、しかし、コミュニティーは代替え可能である。
そうすると、コミュニティーに絶対性がないので弱い依存状態にしかならないのがいいですよね。

このような状態の中で、各個人が意思決定していというのは、言い換えれば、超高度な個人主義ではないかと思うのです。


まぁ だらだら生きられるならどんな主義でもいいんですけどね〜( ̄ー ̄)ニヤリッ