だらだらいきる

「だらだらいきる」ために全力を尽くすタイプです。。。

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魔法の世紀
落合陽一
PLANETS
2015-11-27


1.ものをツクルと当然が当然でなくなる
2.悩む前に体が動くほど

3.認識を変えれば

マルクスが『資本論』で考えたような労働と富の関係も変わるでしょう。例えば、クラウドファンディングはその典型で、あらゆるものがプロジェクト単位分解されて、中央集権的な再配分を経ないまま富の再配分が自発的に行われています。もちろん運営母体である企業は貨幣経済の市場原理において動いていますが、サービス内で行われている行為は、市場を経由しないボトムアップでの再配分に他なりません。イノベーションと再配分に関する点は、かつての共産主義の面影をそこに見るほどです。

資本主義では、労働力商品から剰余価値を絞りとり富を蓄積し、資本を拡大していくことが必要です。
簡単にいうと何かやるなら儲けを出せ、儲けがないならやるなという仕組みです。

これが、クラウドファンディングでプロジェクトベースになると何がかわるのでしょうか。
まず、プロジェクトの目的が儲け(富の蓄積)ではなくなります。
プロジェクトは完成が目的なので、コストを無理に抑える必要がなくなります。
また、プロジェクト自体が直接の商行為ではないので税金を考える必要がなくなります。
そして、プロジェクトが始動するということは、賛同者が多く社会的に何らかの意義があるということであり、社会的価値の創出ということになります。

税を取られず、資本家が搾取する必要もなく、社会的価値を生み出せるこの方式をいったい何んと呼ぶのでしょうか。

資本主義の中で日々、お金に追われているような錯覚にとらわれてしまいがちですが、別に生活のすべてを資本主義の参加者としてすごす必要もないわけです。

クラウドファンディングに参加するのがいいという話ではないですケド、よくよく観察してみれば資本主義とは別物の何かが存在しはじめているのです。

いつもの儲けを出せ的な認識を少し変えてみれば、また違った世界が見えてくるはずです。


まぁ 名前がないので認識しにくいのですけど( ̄ー ̄)ニヤリッ

魔法の世紀
落合陽一
PLANETS
2015-11-27


1.ものをツクルと当然が当然でなくなる

2.悩む前に体が動くほど

デザインは表層、エンジニアリングは深層の問題を解決するという時代は、そろそろ終わりつつあります。今後は表層と深層の両方を意識的に解決することなしに、新しいプロダクトは作れないのです。それは表層と深層の設計が事実上不可分になるわけですから、まさに産業革命以前のクラフトマンの時代に、「ものづくり」の人々が戻るということでもあります。
「魔法の世紀」においてエクスペリエンスとは、一つの重要なキーワードです。エクスペリエンスドリブンの製品は、単に体験を生み出す装置という意味にとどまらず、コンピューターのサポートによる表層と深層の一致の中で、生活や社会の中にある問題を解決していくための装置にもなっていくはずです。
この職業としてのデザイナーとエンジニアが接近していく流れは、表層と深層がコンピューターで再びつながるようになった「魔法の世紀」の原理的な部分から発しているものであるがゆえに、強力な潮流であるように思います。
「デザインエンジニア」の必要性は今後も高まっていくでしょう。


著者は、人間の体験まで設計する必要があるといっているのですが、何かを作ろうとするときに体験まで設計するとなると、膨大な試行錯誤と領域外の知識と経験が必要になります。

ちょっと次元が違う話ですが、語学学習の方法やプログラミング言語の選択で延々と悩んでいるひとをよく見かけます。

当たり前ですが、やったほうが早いです。目的や効率性なんかを考えるくらいならざっと方向性を決めて手を動かしながら調整したほうがいい結果が得られます。

考えることと行動することを区分けしている時点で遅いのです。
考えながら行動し、経験を繰り返して膨大な試行錯誤をすることによって「何か」を獲得するのです。

その「何か」の積み重ねがコンピューターの補助により「ものづくり」を可能にするのだと思います。

いずれにせよ、悩む前に体が動き出すようになるまで訓練するしかないんですよね。

まぁ炎暑のせいで手しか動いてないんですけどね( ̄ー ̄)ニヤリッ







魔法の世紀
落合陽一
PLANETS
2015-11-27


1.ものをツクルと当然が当然でなくなる

人々が存在を意識しないほど高度な技術は、文字通りの「魔法」になりうるのではないか、ということを示唆している、と。

恐ろしいことに、高度な技術で作られたものは、理屈抜きに当たり前になってしまう。
経過が複雑だから、結果だけを認識してしまうのだ。

普段生活する中では、「魔法」は大歓迎だ。
便利で快適だから。

しかし、人として世の中に向き合いたいと思ったときは、魔法ほど厄介なものはない。
魔法=当然という認識が染みついてしまうと、モノをツクル能力が弱くなってしまうのだ。

世の中で自身が認識している物事を当然と思ってしまうと、魔法と言われる高度な技術に気づくことができず、、他人のツクッたものを、自分が信じ込んでいる「当然」の枠の中で批判して自身が何か価値を創出した気になってしまうのだ。

実際、他人の目に触れるものをツクル場合、思い込みの「当然」で作りきることはできない。
何度も何度も、これってどうなの?という「当然」を疑うことを繰り返したうえで完成にいたるのだ。

この作業を繰り返した者が、高度な魔法に触れる機会を得ることになるのだろう。


と、ガンプラを作りながらつらつらと考えてみたわけです( ̄ー ̄)ニヤリッ


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